継承

当法人は全国の文化継承者の皆様のご協力のもと、運営しております。

【神職】鹿島 則綱(鹿島神宮宮司家・七十一代当主嫡男

■歴史と概要

鹿島神宮御創建の歴史は初代神武天皇の御代にさかのぼります。神武天皇はその御東征の半ばにおいて思わぬ窮地に陥られましたが、武甕槌大神の「韴霊剣」の神威により救われました。この神恩に感謝された天皇は御即位の年、皇紀元年に大神をこの地に勅祭されたと伝えられています。その後、古くは東国遠征の拠点として重要な祭祀が行われ、やがて奈良、平安の頃には国の守護神として篤く信仰されるようになり、また奉幣使が頻繁に派遣されました。さらに、20年に一度社殿を建て替える造営遷宮も行われました。そして中世~近世になると、源頼朝、徳川家康など武将の尊崇を集め、武神として仰がれるようになります。

【旧公家】近衛 忠大(近衛家・三十二代当主嫡男)

■歴史と概要

近衞家は藤原鎌足を祖とする五摂家筆頭。平成25年(2013年)に世界記憶遺産に指定された御堂関白記など、代々伝わる古文書などは公益財団法人陽明文庫(京都・宇多野)に保管されている。

【旧大名家】島津 忠裕 (島津家・三十二代当主嫡男)

■歴史と概要

世界屈指の活火山・桜島を抱く鹿児島。島津家はかつて薩摩・大隅・日向の三州の地を、平安時代末期以降700年にわたり代々統治し、江戸からも京都からも遠く離れた地で独自の文化と繁栄を築いてきました。薩摩藩の領国は、中央史観から見ると辺境の地でしたが、対外に目を転じるとアジアやヨーロッパの玄関口で、古くから多くの人や文物・情報が往来していました。海洋国家薩摩は、海外の文化・技術や情報をいち早く受容・摂取してきたことから国際感覚が豊かで、日本の置かれた情勢を客観的に見ることができ、幕末維新期という我が国の大変革期にはその原動力になりました。

【旧大名家】細川 護光(肥後細川家・第十八代当主嫡男)

■歴史と概要

和泉上守護家の出身の細川藤孝(幽斎)は、はじめ室町幕府第15代将軍・足利義昭を支えたが、のち織田信長に属して姓を長岡に変え、丹後国五郡のうち二郡を領した。

細川幽斉の長男として誕生した忠興(三斎)は、一族である細川輝経の養子となるも、紀伊雑賀攻めで初陣し、信長の部将として実父とともに活躍。信長隠居後、織田家当主となった織田信忠より偏諱(「忠」の字)を与えられている。本能寺の変では、妻・ガラシャの父である明智光秀に与せず、羽柴(豊臣)秀吉に仕え丹後一国12万石と羽柴姓を与えられた。実父である幽斎は歌道の古今伝授の継承者、忠興自身は千利休の茶道の高弟として、文化面でも重きをなした。

【蹴鞠】 堤 公長(旧公家・千代田蹴鞠研究会)

■歴史と概要

蹴鞠は、中国から渡ってきましたが、その年代は不詳です。皇極天皇の御代に、中大兄皇子(天智天皇)の法興寺の槻樹の下での、中臣鎌足との出会いが有名です。当時の蹴鞠は、今のサッカーもしくは打毬のようなものであったとの説もあります。延喜、天暦の頃になり、漸く現在の鞠を蹴り続ける形式が定まり、盛んになりました。鳥羽、崇徳両天皇の時代に名足と呼ばれる藤原成通卿が出て、清水の舞台の欄干上を鞠を蹴りながら二往復した話や、千日欠かさずの鞠稽古で鞠の精霊が出現した逸話などがあり、益々盛んとなりました。蹴鞠は、公家の伝統文化が失われることを危惧された明治天皇の思し召しで創立された「蹴鞠保存会」(京都)が、伝統様式を伝えております。

【弓術 弓馬術 礼法】小笠原 清忠(小笠原流・三十一世宗家)

■歴史と概要

小笠原流は、武家故実(弓馬故実)、弓術、弓馬術、礼法の流派。小笠原家は、足利家や徳川家と同じ清和源氏の家系です。初代小笠原長清は、源頼朝の礼法、弓術、弓馬術の師範となり、1187年に鶴岡八幡宮にて源氏としての流鏑馬を披露しました。その後、小笠原家は、江戸時代まで代々の将軍家の師範役を務めてまいりました。明治維新により、武家社会が終焉を迎えた後は、一般に門戸を開き、「流儀を教えることで生計を立ててはならない」という家訓を守り、現宗家三十一世小笠原清忠も、他に仕事を持ちながら、全国の門人と共に、流鏑馬や弓術、礼法の儀式を各地で執行しております。さらに、財団法人を設立するなど、時代に即した流儀の継承に尽力しております。

【槍術】(宝蔵院流槍術高田派・第二十一世宗家)

■歴史と概要

流祖・宝蔵院覚禅房胤栄(1521~1607)は奈良・興福寺の僧です。武芸を好み、槍の修練に努めついに鎌(かま)槍(やり)を工夫し、天文22(1553)年摩利支天の感得を得て宝蔵院流槍術を創めるに至りました。 宝蔵院流の槍は、通常の素槍に対し、鎌槍と称する十文字形の穂先に特徴があります。この鎌槍を活用した宝蔵院流槍術は攻防に優れ、画期的な武器として「突けば槍 薙げば薙刀 引けば鎌 とにもかくにも外れあらまし」との歌が伝えられるように全国を風靡し、日本を代表する最大の槍術流派へと発展しました。(宝蔵院流槍術は平成25年放映のNHK大河ドラマ「八重の桜」の舞台となった会津藩にも伝えられており、制作・収録に協力するとともに伝習者も出演しました。)

【香道】蜂谷 宗苾(志野流・二十一世家元嫡男)

■歴史と概要

志野流は、足利義政の近臣であった志野宗信が香道を体系化、以降室町時代から現代まで香道発祥以来の歴史と伝統を途中絶えることなく20代500年に亘り父子相伝によってひたむきに守り続けてきました。 また、各家元は引き続き、香道という世界にも類稀な香り文化を後世に遺していく使命のもと活動。 途中、江戸時代には貴族、僧侶、武士、町 人にまで志野流の門人は増大していきますが、15代目家元宗意の時に幕末の戦乱に巻き込まれ、尾張徳川家の庇護のもと居を京都から名古屋に移すこともありました。のち明治維新により一旦は危機に瀕しますが、近年の香りブー ムの中で、日本独自の高尚な伝統文化として志野流香道はいま世界で再び見直されています。

【能】金剛 龍謹(金剛流・二十六世宗家嫡男)

■歴史と概要

金剛流は能楽シテ方五流派のひとつで、古くは奈良の法隆寺に奉仕した猿楽座の坂戸座を源流とし、室町時代初期には春日興福寺に勤仕する大和猿楽四座のひとつとなり、のちに金剛座、そして現在の金剛流へと至りました。金剛流の芸風は、豪快でめざましい動きの中にも、華麗・優美さがあり、「舞金剛」といわれます。また、豊臣秀吉拝領の「雪の小面」や艶麗な「孫次郎」など、所蔵する能面・能装束に名品が多いことでも知られ「面金剛」ともいわれています。五流のうち四流の宗家が東京を本拠地にしている中で、関西に宗家が在住する唯一の流儀です。平成15年に、四条室町にあった金剛能楽堂を、能舞台をそのまま移築して京都御所の西向かいに移転、開館しました。

【薙刀】木村 恭子 (天道流薙刀術・第十七代宗家)

■歴史と概要

 天道流の始祖は斎藤判官伝鬼房である。伝鬼は常陸国井手(茨城県)に生まれ、塚原卜傳の門に入り刀槍の術を学んだ。大勢の門弟の中で群を抜いていたが、技の未熟を深く心に感じ、鎌倉鶴ヶ岡八幡宮に百日参篭をなし、天正九年十一月二十一日満願の夜、夢の中に捜し求めていた剣の妙技が記された一軸の巻物を天から授かり、誠の道にかなう妙技を得て一流を興してこれを天流と称し、後に天道流と改めた。

 これにより諸国を巡り修行を重ね、京都ではその剣名が上聞に達し、「一刀三礼」の秘剣を天覧に供したといわれている。諸国修行を終えて郷里井手に居を構えて名声を馳せたが、霞神道流・真壁道無の門下、桜井大隈守と決闘、射殺される。

 その際に示した矢切りの術を「一文字の乱」といい、いまなお天道流の基本とされている。伝鬼房の最期を見届けた弟子の小松一卜斎が伝鬼房の実子・法玄にこの技を伝え、法玄は二代目を継承し、その流儀は現在まで薙刀、二刀、剣、鎖鎌、小太刀などとして伝承されている。

【華道】宇田川 理翁(古流理恩会・十一代家元)

■歴史と概要

古流は江戸中期(明暦年間)に江戸で一志軒今井宗普により、創流された華道の流派です。そのシンプルで潔い姿は当時の人々に愛されました。一志軒の後、安藤涼宇、関本理遊(現在の花型を完成させた)関本理恩(理遊の花型をさらに進化させた)と代を重ね、理恩師の後を引き継いだのは宇田川理登でした。時代は幕末、明治維新がおこり、江戸から東京へと価値観が大きく変わり、華道をはじめ日本の伝統文化は否定された厳しい時代を迎えます。やがて伝統が再認識され、全国に散り散りになっていた古流は東京に集結、息を吹き返しました。(古流協会の設立)現家元は1990年に11代家元を襲名し、次世代を担う華道家として各界で活躍、現在に至っております。

【華道】望月 伸之輔(華道宏道流・家元)

■歴史と概要

宏道流は、江戸時代中期より続く華道流派。華道は武士の嗜みとされたこともあり、江戸を中心に肥後細川藩のお家流ともなり多くの武士に支持された。

 

 

【茶道】川上 宗雪(江戸千家・十代家元)

■歴史と概要

江戸千家は「茶の湯」または「茶道」と呼ばれる文化を伝える流儀の一つで、東京は池之端という地にあります。江戸期の茶人、川上不白(1719〜1807)に端を発し、不白は紀州新宮藩士の家に生まれ、16歳で京都は表千家7代、如心斎のもとへ送られました。修業の後に江戸へ戻ると、江戸の千家流の茶人として武家社会から町人社会まで茶を広めていき、指南先には幕府の閣僚、大名から寺院の門跡、両替商、札差などの名が見られます。また、江戸に集まる各藩の大名達によって地方にも広がりました。以来、江戸の社会、明治以降の日本社会と交わりながら、東京の市中で茶の湯を伝える流儀として現代に続いています。

【狂言】野村 万蔵(和泉流野村万蔵家・九世)

■歴史と概要

2005年、万蔵家の名跡九世野村万蔵を襲名し当主となる。一門の組織萬狂言を主宰。古典を正しく継承し、復曲新作など能楽の可能性追求にも取り組む。近年、狂言とコントを融合させた「現代狂言」の創作・演出や、英国コメディの演出なども手掛ける。また狂言大蔵流と和泉流の若手研鑚と交流を図る「立合狂言会」を発足させ次代の能楽界発展に寄与する。

【刀匠】月山 貞利 (月山家・奈良無形文化財保持者)

■歴史と概要

月山鍛冶は鎌倉時代初期の鬼王丸を祖とし、奥州月山の麓で鎌倉、室町期に栄えました。月山鍛冶の最大の特徴は、刀身全体に波のように流れる「綾杉肌」で、月山鍛冶の鍛えた刀身に顕著に現れることから、月山肌とも呼ばれます。江戸時代初期、松尾芭蕉の「奥野の細道」に「此国の鍛冶、霊水を撰てここに潔斎して剣を打、終に月山と銘を切って世に賞せらる」とあるように、この時代にも月山鍛冶の名は広く知られていました。幕末の月山貞吉もこうした鍛冶の1人でしたが、天保期に大阪へ移住し月山鍛冶の再興を果たし、大阪月山の基を開きました。その後、月山貞一(帝室技芸員)、月山貞勝、月山貞一(重要無形文化財保持者)の各時代に様々な苦難を乗り越え、現在の月山貞利、また後継の貞伸へと連綿と続く技術が受け継がれています。

【和紙】北見 音丸(一般財団法人世界紙文化遺産支援財団紙守・参事)

■歴史と概要

歴史や文化的営みの記録である文書や書籍は人類共通の文化遺産であり、これを未来に遺すことは現代の重要な責務であると考えます。古くから引き継がれたそれらの遺産は損傷し、或いは劣化しており、その修理には日本の古い時代の製法による紙が使われてきました。しかし必要不可欠と渇望されているにも関わらず、現在の日本においては古典的手法による紙の生産は衰退の一途を辿っています。そこで古典的な紙を増産し伝統的な紙産業に対する支援をするとともに、造紙に関する技術者を支援育成してゆくことで日本の伝統的な紙を再生させ、広く紙を普及させたいと2008年に発足した財団です。私は参事という立場で全体の指揮にあたっています。

【有職故実】鈴木 眞弓(元宮内庁書陵部職員・国学院大学非常勤講師)

■歴史と概要

平安時代、公家の日常の参内には、束帯と呼ばれた装束を着用しました。十二世紀になると従来の円満華麗で曲線的な美から、力強い直線的な美が好まれるようになり、地質を厚くし、糊で強く張って着装する強装束が現れました。強装束へと変化したことによって着装が簡単にはできなくなり、美しく着装するための専門家を要することになりました。この着装技術を衣紋と呼びます。鎌倉時代から室町時代にかけて徳大寺家から山科家が、大炊御門家から高倉家が衣紋を受け継ぎました。江戸元禄期頃になると山科・高倉の両家はお互いに競い合うようになり、次第に独自の着装形態が生じて、山科流・高倉流と称した着装技術が完成され、今日に続いております。

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